

日本人のお菓子として馴染みが深いカステラ(当店では「カステイラ」と呼びます)ですが、実はその歴史には様々な説があり、明確ではないのです。
Wikipedia(※)には、次のように説明があります
(※)Wikipedia
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名前の由来は一般的には「スペインのカスティーリャ王国(西: Castilla)のポルトガル発音カステーラ(葡: Castela)」と言われている。また別説として、カステラ製造過程でのメレンゲを作る際、高く高く盛り上げる時「お城(castelo)のように高くなれ!」と言ったことから、カステロ=カステラ、となったという説もある。
カステラはオランダから製法を伝えられた、またはイエズス会の宣教師たちが持ち込んだという説もある。いずれにせよ「葡 :
(パン・デ・カスティーリャ)」(カスティーリャ地方のパンの意)や、「ビスコーチョ(ビスコチョ)」(元は乾パン状の船乗りの保存食だったが、16世紀末頃、柔らかく焼き上げるレシピが生まれている)が由来とされる。ポルトガルの焼菓子である「葡 :
(パォン・デ・ロー、パン・デ・ロー、ポォン・デ・ロー)」が製法的に似ていることから、こちらを始祖とする説もある。
またこれらの原型は、中国の点心の一つである「
(マーラカオ、マーラーイコウ)、沖縄の「
(ちいるんこう)」と呼ばれる蒸しカステラ類の始祖でもある可能性も考えられる。
元は単純なレシピであり、日本に上陸後は日本独特の菓子として進化、改良、発展していったため、元々の根拠が曖昧となり、ゆえに後世諸説できたものと推測される。
一般的な説では16世紀の室町時代末期に、ポルトガルの宣教師によって長崎周辺に伝えられたとされる。当初のカステラは卵、小麦粉、砂糖で作ったシンプルなものであり、ヨーロッパの菓子類としては珍しく乳製品を用いない事から、乳製品を生産、常用しない当時の日本にも残る事ができた。カステラの製造に重要なオーブンは当時の日本には存在せず、オーブンに代替する天火として、引き釜という炭火を用いる日本独自の装置が考案された。岐阜県の恵那市岩村町に残るカステラ(松浦軒本店)は、長方形の型に水飴を入れない生地を流し込み、上下から木炭の火で焼いたという(現在はオーブンを使用)。現在の同地 方のカステラの多くが、あっさりとしてかつさっくりとしており、天火が本格的に開発される以前の古い形を残したカステラである。
江戸時代には菓子製造の盛んだった江戸・大坂を 中心にカステラの日本化と、カステラを焼くための炭釜の改良が進められ、江戸時代中期には現在の長崎カステラの原型に近い物が作られている。長崎カステラ の特徴である水飴の使用は明治以降の西日本で始められたと言われ、これにより現在のしっとりとした触感となった。西日本においては原型のパウンドケーキのようなさっくりとした感触が好まれなかったと見られる。伝来当時、肥前国平戸の松浦家において、南蛮菓子としてカステラが宴会に出された時、その味に馴染めず、包丁方(料理人)がカステラを砂糖蜜で煮たという逸話もあり、これが上述の平戸名産「カスドース」の原型になったと伝えられている。
カステラの製法は江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載され、茶会でも多く用いられた。その一方で、カステラは卵・小麦粉・砂糖といった栄養分の高い材料の使用から、江戸時代から戦前にかけて結核な どの消耗性疾患に対する一種の栄養剤としても用いられていた事もある。近代には水飴の使用が普及して和菓子らしい風味をそなえるようになり、ガスオーブンや電気釜で以前より楽にカステラが焼かれるようになった。こうした改良により各地に広まり、戦後の大量生産によって一般に普及したものと推測される。しかし今なお長崎の街角には多数の自家製カステラ店舗がその伝統と技を競い、長崎の地域名産品となっている
今では身近なお菓子となっているカステラですが、そのルーツを知ると、食べなれているカステラに歴史が見え隠れするような気がしませんか?
時代がかわり、お菓子も工業化による大量生産が進みましたが、当店では、先代から伝えられた製法を守り、添加物を一切加えない素材の味が生きたカステイラを、毎日職人がその日にご提供する分だけ焼いています。
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